日本人留学生の射殺事件を回想

今年は多くの人が参加したことで、とても印象的だったハロウイーン・ナイト。「日本のハロウイーンは、いつからこんなに賑やかになったのだろう」と思いをめぐらせた時に、ある悲惨な昔の出来事を思い出しました。当時はテレビ、新聞などのマスコミで「日本人高校留学生射殺事件」として大きく取り上げられました。1992年10月のハロウイーンの夜に、アメリカのルイジアナ州バトンルージュ市で名古屋からの高校留学生である服部君が無残にも射殺されました。この悲劇は広く報道され、アメリカという銃社会の深刻な社会実情が浮き彫りになりました。ハロウイーンで訪問しようとした家と間違えて、偶然ピアーズ宅に足を踏み入れてしまった服部君を、不法侵入者と間違えたピアーズ氏が「フリーズ-Freeze(動くな)」と警告した後に、ピストルで射殺しました。アメリカのマスコミもこの事件を報道したため、銃の規制をしようというムーブメントが一部で起きましたが、全米ライフル協会などの反対によって実現はできませんでした。その理由は「アメリカの人口3億人に対して、銃も3億丁以上が既に販売されて社会に出回っている。アメリカの憲法では、護身のための銃器保持が認められている」との事でした。